伝説の名機、エル・プリメロ

熊谷質店

今回はエル・プリメロについてのお話です

第22回 エル・プリメロ

エル・プリメロ。機械式時計の愛好者であれば、一度は聞いたことがある名前かもしれません。1969年、ゼニス社によって開発され、現在にいたっても世界最高峰ともいわれるクロノグラフ・ムーブメント(ストップ・ウォッチの機能を持つ機械)の名前です。今回は、伝説のムーブメント、エル・プリメロについてのお話です。

誕生は1969年

腕時計の長い歴史の中で、1969年というのは特別な年だったのではないでしょうか。 この年には2つの大きなニュースがありました。1つはクロノグラフの時計に、自動巻きが登場したことです。

通常の自動巻きの腕時計は1930年代から普及していたのですが、クロノグラフとなると格段に構造が複雑になるため、実用化するのは大変困難でした。また、クロノグラフの需要自体が第2次大戦後減少していったことも開発が遅れた背景にあります。

1969年3月、ブライトリング、ホイヤー、ハミルトンなどが共同開発した世界初の自動巻きクロノグラフ、クロノマチック(キャリバー名:Cal.11)がついに発表されました。ただし、これはクロノグラフ専用の設計ではなく、従来の2針時計用の機械にクロノグラフモジュールを追加したものだったため、通常時計用の秒針がなかったりだとか、マイクロローターのため巻き上げ能力が不十分であるなどの問題も抱えていました。

それから半年後の1969年9月、驚異的な性能をもつ本格的な自動巻きクロノグラフが発表されました。これがゼニス社が作った(モバードとの共同開発による)エル・プリメロ(キャリバー名:3019 PHC)です。ちなみにこの年、われらが日本のセイコー社も垂直クラッチを持つ初の自動巻きクロノグラフを発表しましたが、それほど話題にはならなかったようです。

クロノマチック  エル・プリメロ
(左)クロノマチック / (右)エル・プリメロ

それよりも、この年セイコーが話題を独占したのは12月に発表した世界初のクォーツ式腕時計「アストロン」です。これが、1969年の2大ニュースのうちの1つなのですが、クォーツ時計の登場は時計界の長い歴史を覆すような出来事であり、その後の時計業界のあり方、ひいては時計というものの存在意義を根本から変えていくことになります。

クロノマチック  エル・プリメロ
(左)セイコーが開発した自動巻クロノ 6139B
(右)世界初のクォーツ時計、アストロン

エル・プリメロ

エル・プリメロはスペイン語でNo.1を意味する言葉です。驚異的な性能を持つこの機械は、1965年のゼニス社創立100周年記念モデル用に、すでに1962年から開発が始まっていたもので、7年の歳月をかけて1969年にようやく発表にこぎつけたわけです。

エル・プリメロは完全にクロノグラフ専用の機械として一から設計されており、その性能は、クロノグラフでありながら、毎秒10振動という超ハイビートを刻み(クロノマチックは5.5振動)、さらに50時間のパワーリザーブを併せ持つという驚異的なものでした。10振動というのは特にクロノグラフにおいては、0.1秒の計時ができるという意味で大きなメリットがありますし、安定的な精度を保つという意味でもメリットは大きいです。

ただし、これを実現するためには、ハイビートに耐えられるような耐久性をもつパーツや潤滑油、ハイビートを作り出せるパワーのあるゼンマイや機構の開発も必要となります。エル・プリメロは今から45年も前にこれらをクリアして実用化にこぎつけ、その機構がいまだに色あせず世界最高峰のクロノグラフとして位置づけられているのですから、すごいことですね。

消えたエル・プリメロ

さて、1969年セイコー社が世界で初めて発表したクォーツ時計ですが、その後、安くて正確無比な精度を持つクォーツ式の時計はまたたく間に世界中に広がります。1970年代の初頭にはスイスの時計産業は壊滅的なダメージを受け、多くの歴史ある時計メーカーが倒産の危機に追い込まれました。ゼニス社もその中の一社で、1971年には、アメリカ企業、ゼニス・ラジオ社の傘下に入っています。

ゼニス・ラジオ社は採算の合わない機械式時計に見切りをつけ、ゼニス社にクォーツ式の時計のみを作るよう指示します。そして、機械式時計製作に使われた道具や金型なども一切売り払い、設計図なども破棄するよう命じました。ところが、当時、ゼニス社の工房の責任者であったシャルル・ベルモはこの命令を破り、エル・プリメロの設計図や製作するための道具一式をこっそりと普段誰も立ち入らない物置に隠しました。

1978年になるとゼニス社の経営がスイス資本の別の会社に変わります。新しい経営陣は、個性の少ないクォーツ式の時計よりも本格的な機械式時計の製造に再び目を向けるようになります。実際、80年代に入ると多くの有名ブランドは再び機械式時計の製造に力を入れるようになり、その復活を目指して動き出します。ところが、ゼニス社は機械式時計を製造できる多くの職人を解雇してしまっただけでなく、道具や金型その他の資料まで全てを失ってしまった会社です。

そんな時、シャルル・ベルモは落胆する新しい経営陣の前に、自分が隠したエル・プリメロに関する資料、金型や道具のすべてを見せます。この時の経営陣の顔が思い浮かぶようですね(^^)。

かくして1981年、再びエル・プリメロの製造が再開され、ゼニス社は息を吹き返しました。

シャルル・ベルモ 設計資料
(左)シャルル・ベルモ / (右)設計資料

エル・プリメロ、その後

その後、エル・プリメロは、改良され、さらにいろいろなバリエーションを持つものも開発され、ゼニス社の時計をけん引する存在となりました。それだけでなく、他社の機械としても多く採用され、時計界の中で特別な存在感を持ったものとして君臨していきます。そして、エル・プリメロの名を有名にしたのは何と言ってもロレックスのデイトナでしょう。

デイトナ LV277
エル・プリメロがベースの時計
(左)ロレックス デイトナ 16520
(右)ヴィトン タンブールクロノ LV277

現在のデイトナには完全自社製の機械が搭載されていますが、1つ前の型(Ref 16520)にはエル・プリメロをチューニングした機械、cal.4030が搭載されていました。cal.4030ではあえて8ビートに振動数を落として、より耐久性が増すような改良がされておりますが、ベースはエル・プリメロと変わりません。この機械は1984年~1999年までデイトナで使われており、当時のエル・プリメロ搭載のデイトナは今でも人気があるモデルとなっています。 (現行モデルを上回るプレミアムがついていた時期もありました^^;;)

その後、エル・プリメロはヴィトンや、パネライ、ホイヤー他各社の限定モデルや高価なクロノグラフ用の機械として用いられてきました。ゼニス社は1999年よりヴィトンを中心とする巨大資本、LVMHグループの傘下に入っておりますから、同一グループであるヴィトン、ホイヤーの機械として登場することがまだまだあると思います。もちろん、時計ブランドとしてのゼニス自身をけん引する絶対的な存在として、これからも改良されながら活躍を続けていくことでしょう。

ゼニス男性用 ゼニス女性用
本家・ゼニスの時計(中の機械が見えるよう工夫されている)
(左)ゼニス クロノマスター オープン パワーリザーブ
(右)ゼニス エルプリメロ オープンハート