今回はコイヌールについてのお話です
今年ももう2月。ソチ五輪のあの感動的な葛西のジャンプから早くも1年が経つんですね。早いものです(^^;;)。「レジェンド」は昨年の流行語にもなりましたよね。
宝石の世界でも数々の伝説を持ち、まさに「レジェンド」的な存在のものがいくつもあります。今回紹介するコイヌールと呼ばれるダイヤもそのレジェンドの1つです。
コイヌールは19世紀の後半までは世界最大の大きさを誇ったインド産のダイヤモンドです。ダイヤモンドといえば、今でこそ南アフリカを中心としたアフリカ大陸が主要な産地となっていますが、その昔はインドでしか採れませんでした。コイヌールはそんな時代の宝石です。
コイヌールの原石については、5,000年前からすでにインドにあったとも言われており、インドの古代の叙情詩にはその記述があるとされております。それゆえ、コイヌールは世界最古のダイヤとも言われております。その当時はなんと1,000カラットを超える大きさがあったという伝説もあります。ただし、正式に歴史の記録としてコイヌールが登場してくるのは、1304年頃で、この時はインドのマルク王の所有物であったとされております。
コイヌール
コイヌールは、その後、権力者たちの争いの中で持ち主をたびたび変えていきます。1526年、ムガール帝国の初代皇帝バーブルがデリーを征服し、この石を手にします。しかし、その息子のフユマンの代には早くも他国に石が渡ることになり、5代皇帝シャー・ジャハンの時代になって再びムガール帝国にコイヌールは戻ってきます。シャー・ジャハンは世界遺産にもなっている有名なタージ・マハルの建造者でもあります。
シャー・ジャハンとタージ・マハル
18世紀になり6代皇帝アウラングゼーブが死去すると、ムガール帝国の力も徐々に陰りを見せます。1739年にはペルシャを支配していたナーディル・シャーにデリーを占領され、この時、ムガール帝国の皇帝ムハマド・シャーは自身の皇帝の地位を保証してもらう代わりに、多くの宝物をナーディル・シャーに差し出しました。しかし、その中にはコイヌールは入っていませんでした。ムハマド・シャーは自分のターバンの中にコイヌールを隠していたのです。
このことをひそかに知ったナーディル・シャーは、饗宴を開き、そこにムハマド・シャーを招きました。そして、大勢の前で双方の友好のためにターバンを交換することを申し出ました。当時のしきたりの中でこれを拒否することはできません。かくして、饗宴の中でいとも簡単にナーディル・シャーはコイヌールをその手にすることができました。ナーディル・シャーはターバンの中から現れた巨大なダイヤを見て、思わず「Koh i noor!」(コイヌール!)と叫んだといいます。これはペルシャ語で、「光の山」を意味する言葉で、これ以降このダイヤモンドは「コイヌール」と呼ばれるようになりました。
さて、鮮やかな謀略でコイヌールをその手にしたナーディル・シャーですが、コイヌールは彼に幸福な未来を与えてはくれませんでした。むしろその逆で、ナーディル・シャーは、1747年に部下の反乱に合い、暗殺されてしまいます。
その後王朝は分裂し、コイヌールを引き継いだナーディル・シャーの息子、シャー・ルクは、コイヌールを狙う者たちの手により拷問に掛けられ、散々な目に合います。シャー・ルクはそれでも何とかコイヌールを守り抜き、その後アフガンの王、アフマド・アブダリに助けられます。シャー・ルクはそのお礼としてアフマド・アブダリにコイヌールを進呈します。
その後、1793年にアフマド・アブダリの息子が亡くなると、その兄弟間で政権とコイヌールの激しい奪い合いが始まります。その中で、兄弟の中の2人がコイヌールを持ってインドのパンジャブへ逃走しますが、そこでパンジャブの虎といわれたラジット・シンの軍に捕まります。兄弟は釈放してもらうかわりにコイヌールを差し出し、コイヌールはラジット・シンの手に渡ります。ラジット・シンはコイヌールを気に入っていたようで、自分の腕輪を加工してコイヌールを埋め込んだといいます。
ラジット・シンは1839年に亡くなりますが、このころにはすでに世界の情勢は大きく変化していました。西洋の国々が本格的にアジアへ進出してきたのです。1849年、イギリスはインド全土を植民地化し、コイヌールはイギリスのビクトリア女王の手に渡ります。
1851年にロンドンで開かれた万国博覧会では、会の目玉として展示されたコイヌールでしたが、評判はいまひとつよくありませんでした。というのも、コイヌールに施されていたカットは、古いインド流のカットでしたから、せっかく大きなダイヤであっても十分な輝きを得ることができなかったからです。ビクトリア女王はアムステルダムの有名な職人にコイヌールを再カット・研磨させ、大きさよりも輝きを重視したオーバル・ブリリアント・カットに仕上げました。その結果、カット前は186カラットあったコイヌールでしたが、カット後は108.93カラットとなりました。
再カット前のコイヌール(左)と再カット後のコイヌール(右)
(近代的なブリリアント・カットに変更されたのがよく分かる)
コイヌールには大昔の伝説の時代から、男性が持つと不幸をもたらすが、女性が持つと幸せをもたらすという言い伝えがあります。確かにコイヌールをめぐっては様々な人間や国同士までもが争い、結果的にコイヌールを所有できたとしても必ずと言っていいぐらいの不幸を持ち主に持たらして来ました。ここに、イギリスの女王という女性の所有者が現れ、ようやく安住の地を見つけたといってもいいのかもしれません。ビクトリア女王は自分の死後も女性のみがこの宝石を身に着けるよう遺言に残しました。1937年、コイヌールはエリザベス女王の王冠に付けられ、現在もこの時の姿のまま静かにロンドン塔のジュエル・ハウスに展示されております。
ビクトリア女王とエリザベス皇太后の王冠